『私とA積木』ー子どもの時の「積み木遊び」について考えてみたこと。
(こんにちは、娘です。長い文章を書いてしまいました、よろしくお願いします。)
来月発売される雑誌「momo」にMOMOを掲載してもらっています。
とてもすばらしい記事を書いてもらって、今までやってきたことの「ご褒美」みたい!と感動して、
「momo」を作っている方々・紹介してくださった百町森の柿田さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
発売になったら、全国のたくさんの方の手に届くと良いな、と思っています。
(☆雑誌「momo」の発売は12月5日です。全国の本屋さんに並びます。)
「momo」の中に、私が子どものころ遊んだアルビスブランの積み木の写真が載ります。
私が実際遊んでいたものをカメラマンのHamatsu Wakiさんに撮影していただきました。
その写真を見て、この積み木で遊んだことに、ふと考えてみました。
私にとって積み木遊びってなんだったんだろう?いま積み木遊びが活きていることってなんだろう?
店長(母)が積み木を買ってくれた年と同じ年になった今、思い出しながら考えてみたことを書いてみようと思います。
『私とA積木』
子どもの頃実際に遊んでいた遊び倒された「アルビスブラン積み木(中)」撮影:店長
アルビスブラン社の積み木はカタログでは「A積木」って書かれているんです。
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■積み木遊びは「表現」の原点
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「表現」ってなんでしょう。私が思う「表現」は、自分の頭の中にあるものを外の世界に見える形で表出(アウトプット)すること、だと思います。
外の世界に頭の中に浮かんだことを表出させる媒介はいろいろあります。大人にとって一番身近なのは「言葉」です。「私はこれを見てこう思った」ということを大人は言葉で表現することができます。鉛筆や絵の具を使って絵を書く人もいます。絵を描くことは苦手な人もいますね。表現の方法は人それぞれ、得意な方法があると思います。
私にとってその「表現」の媒介の原点といえるのが「積み木」だと気づきました。
積み木が私の表現の原点、なんて、最近までそんなことは思っていなかったですが、きっかけは先日MOMOでモンテッソーリ教育のお話し会をしてくださったSt.ボスコ子どもの家の鎌田先生のお話でした。
鎌田先生は「積み木は子どもは世界の再現をするための道具」とおっしゃっていました。正方形、長方形、三角などの形を使って、子どもは自分の見ている世界、街や家具、動物までを再現する。色がついていない白木の積み木は、色がない分、子どもの再現をしやすくする、自分で再現した世界に色を見ることができる。
子どもの頃、言葉にできない気持ちがたくさんありました。言葉をまだ知らないからです。学んでいる途中だからです。
そんな子どもでも、木を積む、という行為で自分の頭の中の世界を自分や親や友達の目の前に再現、つまり表現ができたのです。
もちろん、全てを表現できるわけではありません。足りないことは言葉で補足したり、時には積み木に知ったばかりの文字を描いてしまったり…。
なぜだ、「山口」…!!
それでも積み木で遊ぶとなんだかとても満足した気持ちになったことを覚えています。
その頃はこの感情が満足感だ、というとことはわかりませんでした。ですが、積み木遊びを思い出すことで、当時の感情まで一緒に冷凍保存されていたようによみがえってきて、ああ、あの時の気持ちは満足感だったり、頭の中のものを見えるものとして表現できたことの喜びだったのだな、と、言葉を知った今だからこと文章にできています。
言葉にする、文章を書くということも、実は与えられたピースの中から組み方次第で表現するもの、どれを選ぶか、どの順番で並べるのか、そういうところが実は積み木と似ているなと思います。
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■アルビスブランの積み木が「木」の原点、基準点。
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「表現」の原点でもあれば、私の「木」の原点、今にも続く「基準点」でもあります。
アルビスブランの積み木の好きなところはなんと言っても「におい」です。甘いような、今でも思い出すとドキドキする、良〜いにおいがするんです。
積み木が入っている木箱も丈夫で重くて、「道具」という感じがします。フタもいつまでたってもスムーズです。
ささくれていたり、ざらざらしたりしません。いつまでも積み木で遊ぶ、という目的以外のことにストレスを感じずに積み木で遊ぶことに夢中になれました。
持った時質感や重み・木目、全てがはじめて私の「木」の原点、だから、私が木のものを見るときの基準点になっています。
アルビスブランの積み木よりも良いか、良くないか。という基準点です。
だから、今、アルビスブランの積み木が基準点なので、けっこう木には厳しいです…。子どものころ触れる材質っていつまでも身体の感覚に染み付く感じがしています。
こちら、新品です。いいにおいなんです。すべすべだし。
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■積み木遊びで養った「構成力」と「バランス感覚」
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積み木遊びをしたことでなにか今の自分に影響していることってあるかなあ?と考えてみました。
「表現」は自分の頭の中の世界を現実の世界に目に見えるように表出させることです。つまり、自分に見えていることはもちろん、他の人にも見えている、ということです。
私は人に自分の表現したものをどう見せるか、ということを積み木で遊ぶことで自然に養ったように思います。
(※他の人はどうだかわかりませんし、積木で遊ぶとこうなれますよ!とは全く言い切れないです。)
どんな形で?どんな順番で?
ここは重過ぎる、こうやって積んだらここは崩れてしまうんだ、じゃあココは軽くしよう。
主に「構成力」と「バランス感覚」です。
実際に立体物を作る人にも役立つと思いますが、今文章を書く時やチラシのデザインをするときにも役に立っているように思います。
文章を伝わるように構成することも、チラシの見た目をよくすることにもあると便利です。
(デザインの学校などに通ったことはないので、よりそのころの蓄積でどうにかなっている気がします…。)
もちろん積み木で遊ばなくても良いと思います。
ただ、子どもの頃実際に手を使って実物を目で見ながら、重いとか軽いとか、バランスを保つとか、左右対称とか非対称でもきれい、というのを体感しているのとしていないのでは今の自分は全く違ったのではないかと思います。
最近つくったもの。角には角、上は軽く、よく見ると積み木っぽいバランスですね。
ちなみに鎌田先生は白木の積み木は「再現」、
ネフスピールなどの同じ形がたくさんある積み木は同じ形を使って自分だけの形を生み出すので「クリエイティブ」、
だとおっしゃっていました。
ネフスピールで遊んでいたらアートな感じに育っていたのかな、とも思います。(積み木はアルビスブランだけでした。)
■最後はきっちり枠にしまうという習慣
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今でもアルビスブランの積み木の思い出すだけでワクワクする部分なのですが、この積木は四角い箱に2段きっちり詰まるようになっています。本当に小さい頃は積むことが好きでしたが、大きくなると、最後にきっちりしまう(詰める)という作業がとても好きになりました。
今でも、四角いものにはぎっしり詰めたくなってしまう性分なので、私のつくるチラシはわりと四角くぎっしりしています。というか、してしまいます。
これは作るものだけじゃなくて、性格にも影響していて、どんなにゆるいことをしていても枠組みはきっちりしたい、とか、どうにも「最後はきっちり四角に詰める」という習慣みたいなものが今でも染み付いているように思います。
義務とかではなく、好きなんです今でも、きっちり詰めるのが。
と、言いつつピース揃ってないという…。今でも1ピースから買えます。揃えようかな。
枠に囲まれている、ということは不自由ばかりではなく、だからこそその中で安心してのびのびとできることもあります。
シュタイナー教育のとしくらえみさんがお話会で「時間を決めるからこそ決められた時間の中で子どもは安心して遊ぶことができる」というお話をされていたことと、つながっているように思います。
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■自分の「表現」が「自分を越える」体験をできる「積み木遊び」
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店長(母)が買ってくれた積み木はアルビスブランなので基尺が4cmです。積み木で迷われる方はもうひとつ有名なフレーベル積み木というのがあって、こちらは基尺が3cm、この2種類で迷われます。
基尺というのは全てのピースの基本になる長さのことで、アルビスブランは一片が4cmの正方形を基本にすべてのピースの大きさが決まっていて。フレーベルは3cmで出来ています。
たった1cmですが、実際に積んでみるとけっこう差があります。百町森さんは基尺3cmをおすすめしていたように思います。店長がなぜアルビスブランを選んだのかはそういえば理由を聞いたことがないです。なんででしょう。
実際に基尺4cmのアルビスブランの積み木で遊んだことで、これ、よかったなあと思うこと。それは積むとけっこう高くなる、ということです。
積み木なんだから積んだら高くなるのは当たり前じゃん、と思われるかもしれないのですが、これはけっこう重要だったと思うことで、
子どもが自分の背の高さを越えて、しかも自立するもの、を作ることってけっこう大変なことです。
LaQとかレゴとか、年齢が大きくなると手先の細かいことをやりはじめる(表現したい物がより複雑になるから)のですが、私が7才くらいになっても積み木で遊んでいたのは、自分の身長よりもっと高く積みたい!という気持ちだったからです。そのころの自分より高い積み木と一緒に撮って自慢げにしている記念写真がけっこうあります。「撮って!」って言ったんだと思います。
アルビスブランは基尺が4cmだから、10個以上積むとすぐけっこうな高さになるんです。
カプラも楽しいですけど、身長を越すためにはけっこうな枚数が必要です。「とにかく自分よりも大きいものが作りたい!」「自分の手で!」という願望が子どもには、いや、大人になってもけっこうありますよね。
単に高さを高くした満足感じゃなくて、そこには「自分の表現が自分の越えて行った」という満足感もありました。
今でも、文章を書いたり、ブログを作ったり、絵を描いたり、自分の「表現」が思いもよらない場所や人まで届いたとき、とても嬉しい気持ちになります。
その時の気持ちは、子どものころ自分の背よりも高く積み木を積むことができたあの時の気持ちとつながっているなあと思ったらなんだか感動しました。
思いがけずいろんな人たちに見てもらえて嬉しかった最近のイラストたち。
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■積み木は「相棒」
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雑誌「momo」で私が遊んだこの積み木の写真につく見出しは『あの子の相棒』。
そう、積み木は私の表現の相棒だったんですね。
相棒がいると自分が表現したいこと、ひとりよりもずっと楽しく、より深く出来る。
いまは積み木がいなくても、ひとりで「表現」できるようになりましたよー、積み木さん。
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■大人になってから思う「A積木」
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今、私は店長(母)が私のクリスマスプレゼントに積み木を買ってくれたのと同じ年齢になりました。(20代真ん中)結婚もしていませんし、子どももいませんが、今私が親だったらこんなに高い(値段が)積み木、買ってあげられるかなあ、と本当に思います。だって約2万円ですよ!最近気づいてほんとびっくりしました!こわい!自分まだ結婚してないってこわい!(←そこ?)
大きな買い物ですが、英断だったと思います。
積み木、本当に好きです、楽しかったです。お店でもつい相談されるとアルビスブランを薦めてしまいます、だって、本当に何年間も楽しかったので。
子どものころに遊んだおもちゃそのものが取っておいてもらってあるからこそ、対面したときにそのおもちゃで遊んでいた子どもの時の気持ちがうわ~って溢れてくることがあります。もしそのおもちゃと対面していなかったらその感情はあるのにずっと脳みその引き出しから出てくることがなかったんですよね。そう思うと、高価でも大人が取っておきたくおもちゃは良いなあと思います。
きっと私も買っちゃうんでしょうね、アルビスブラン。いつになるかわかりませんが…。
店長は今日もMOMOでアルビスブラン社の積み木をおすすめしていることでしょう。
文:茂木成美 写真:もぎしづこ
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☆アルビスブランではない積木ももちろん良いと思います。積み木、けっこう種類たくさんあります。
(MOMOでは店長がアルビスブランを薦めちゃうと思うのですが…)
▷【MOMOオンラインショップ】積み木のページ
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